疑問が突然生じたりする。
自分で解決できたら申し分ない。
しかし
出来ないときは困り者。
そんなときたまに
メーデー、メーデー!
見たいな気分。
今回の疑問は好き嫌いの境界についてです。
俺は果物ほとんどの味は、好きでも嫌いでもないいわゆる「普通」のランクに位置している。
だけんども、りんごとかみかんとかいちごとか、そしてばななとか。
あいつらの名前はとても好きなんだよ。
なんかね、味とか見た目とかとても調和してるんだよ。
そのばっちりした名前が付いてるってのもいいし、
書いたときの文字のならび、つまり文字のみためってのもいかす。と思う。
でも俺って味はそんな好きじゃないよね。
じゃあ結局俺は果物たちのことが好きなのか、それともそんなにじゃないのか。
そんな悩みが生じてくるわけなんだよ。
そもそも人間にとって果物ってのは食べ物なんだよ、つまりさあいつらの価値は
味にあんのかなって。
でもよ、俺たちがりんごだって思えるのは、数ある物体からりんごだって特定できるのは、
やっぱ名前があるからなんだよね。
名前がなかったら「りんご」は存在すらしないんだ。
てことは味がどうこう以前に名前のが大事なんじゃないかって。
おいしそうだなって思うのは見た目、でも実際おいしいってわかるんは味。
難しい問題なんだよね。
くだらないことだけど、難しい。
くだらない問題ほど、答えを出すのは難しいんだな。と思ったり。
だってさ、ソフィストたちだってなかなかくだらないこと考えてるんだぜ。
でもそれもいいじゃない。あなたたちの本はとっても読みにくいけど、すきだぜ。
考えて考えて1日が終わる。
俺は今日りんごで1日が終わっちゃうみたいだけど、楽しかったよ。
なんか素敵じゃないか。
確かりんごは旧約聖書で『知恵の実』だったような。
そうゆうりんごの神秘的なところもすき。
なんだって誰だって、いろんな方向から見てみればいろんななんかがみえるんだなぁ。
と思った1日でした。

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