2012年4月30日月曜日

京都いってきーあ

どうも
本日ついに京都に行けた
やっとです、1年経った お待たせ
というかあれから1年経ったのか

僕はまた一つ年をとって 
あまりたくさんじゃないけど
新しい事にもいくつか挑戦したよ
バイトも順調 楽しくやれてる
今までのことで続けてることもあるし
目指す道もなんとなく
迷いはないけど 不安はあって
いろいろあるけど
なにより健康です
またいつ行けるかはわかんないけど
秋の京都は奇麗だっていうもんだからその辺りにしようかなって
まあ気長に待っててよ
家にもたまにはカーネーション飾るよ

…みたいなことを思いつつ手を合わせた
行けてよかった



★

お参りした後は嵐山へ
天龍寺へ行った
たぶんはじめて行った
龍の絵がすごかった
たぶんこれは撮影していいやつ
駄目なやつもあった






とても迫力があってすごかった
しかしこういっては何だがなんだか漫画みたい

昔兄ちゃんが龍を書く練習をしていた
1時間ぐらいでさらっと書いちゃうもんだから
悔しい いいなあとか思った 
それはもう7年ぐらい前の話


京都はいい
また行きたい

いくんだけど 



★



連休中に岐阜にいくという話がある
あまり乗り気じゃない
金銭感覚がちがうからなあ

ちょっとは気を使って欲しい
年中おんなじ服着てる学生が遠くまで行って
遊ぶかねがあるだろうか
無いに決まってんだろ

憂鬱

せっかく借金も返せそうなのに…
いくら身内とはいえ金は借りると日々が辛い
それが実感できただけでもいいか



バイトが順調だから
お金が貯まったら何か買おう…
とか考えるのが楽しくなってきた
何処まで実現できるか ほほ



★



価値相対性について考える


「正しいか正しくないかはその人それぞれだから決められない」
という台詞を最近聞いた


けっこうなるほど、と思いきや
この台詞は矛盾を孕んでいる

人それぞれ個々の考え方、人生があるのだからその人自身の正義がある
ならば、自分だってその個人という枠組みにいるのだから
結局自分で正否を決めても問題ないのでは?
なぜ自分だけ特別扱い?

こういう落とし穴はけっこうよくある


僕の意見としては
自分で善悪の判断を持てないというのは駄目である
だって自分の意見が無いって… どうすんの 惰性か

問題は意見の表現方法にあるのでは
判断するのはかって 思うだけはいい
でもそれを行動に移すのはちょっと考えなければならない
重要なのはそれなのでは?と思うんです


スローガンみたいにかっこいい言葉を掲げるのはけっこうだが
それが説明できなくては意味が無い
行動に移せない、生き方に反映できない

そう思ったのでした




★



もう暖かいを通り越して
なんだか熱い
気温高いのは苦手だから困ります
はてどうなるか



そういえば京都でイチゴパフェを食べた
観光地のアイスは高い 900円
でもとってもおいしかったからいい







チョコは好きじゃないけど
チョコチップは使い方によってはかなりいけるんだなと


ただアイスの領域がもっと大きいとなおよしだった


若い女の子の店員さんに
イチゴパフェください というのはなんだか恥ずかしかった


店でてすぐなのに
またソフトクリーム屋に目が行ってしまった

そういう季節だから仕方ないのかしら


季節ものだからしょうがないけど
年中イチゴ系のアイスがあればなぁ と
ずいぶん前から思ってる


おしまい

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